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『おっさんずラブ-in the sky-』感想

※1は観ていないので比較などはしていません。
※かなり好意的な感想となっているので不満や批判を読みたい人向けにはなっていません。

千葉雄大が出るというので観てみることにした『おっさんずラブ-in the sky-』、前作の人気っぷりは把握していたものの自分は全くの未視聴状態。
第1−2話で、なるほどこんな感じなのか、と納得したからか、最終回の「そっち?!」展開も意外に結構すんなり受け入れてしまった。
まぁ確かに、たしかに、そっち?!とは思った。
でも、このドラマ、恋愛感情を抱く過程が雑じゃん?
雑というか過程の描写があったの、成瀬→四宮くらいじゃん?
春田→成瀬もかなり唐突だったよね、いつ好きになったの?と思ったよ。
他の矢印(四宮→春田、黒澤→春田、緋夏→春田)は開始時点で、自覚無自覚の差はあれど、すでに形成されていた。
自分は黒澤キャプテンが春田への気持ちに気付く下りで「恋愛感情を抱くに至る描写を挿入しない作品」だと見なした。
それに作品内でも何度か言及されていたように、「恋愛の好き」は厳密に規定されている訳ではない。
「お前の好きは恋愛感情ではない」と言われても、「そうかもしれないです。でも僕はあなたのことが好きです」と返したっていいんではないかな。
逆に、「あなたの好きは恋愛感情だ」と言われても、「そうではないと思います」と返してもいい。
他の好意とはっきりと区別できない好きを恋愛としての好きだと思う/思わないのはその感情の宿主の自由であって、他者がどうこう言うものではない。

と同時に、あの大団円のあと黒澤と春田の好きの齟齬が主に黒澤を苦しめるところまでは一瞬で想像できてしまった。
だけどそれは可能性の一つであって、紆余曲折を経てお互いが同じ好きを共有できるかもしれない。
それは誰にも分からない。
成瀬がこちらを向かないショックと黒澤キャプテンが引退するショックをごっちゃにしている可能性とか普通に頭に浮かんだし、タイミングが違っていれば春田が四宮の方へ行く可能性もあったな、とか思ったけれど、感情なんてタイミングに左右されることも多いし、あの最終回は自分はすんなり受け取れました。
好意的に受け止められたのは、先にも書いたとおり、恋愛感情を抱くに至る描写がふわっとしているという認識があったから(ここをしっかり描いている作品の最終回がこれだったら不満爆発する)、そしてもう一つ、こちらの方が理由としては大きいかもしれない。

この作品の世界が優しかったから。

月9シャーロックでも男性同士の恋人が出てきたのだが、そちらでは「(男同士)だからどうした?」という台詞が発せられる。 だけどこちらでは「だからどうした?」という台詞すら発せられない。
シャーロックの方の感想でも書いたとおり、自分は「だからどうした?」のいらない世界を欲している。
現実ではまだまだ遠いかもしれないけれど、フィクションの中でそれを描くことはできる。
例えばエレメンタリーなどは同性愛者が出てきても特にそれに対するリアクションはない、異性愛者と同程度にしか。
そしてそれは非常にホッとする。

四宮の気持ちを聞いた緋夏が「私たちライバルですね」と握手を求めたシーンで、自分の中で作品への好感度が爆上がりした。
「男なのに…」といった戸惑いや「ゲイなんですか」といった確認をこの作品はおそらく意図的に排していた。
リアルじゃないかもしれない。
でも、優しい世界を描いていたっていいじゃない。
緋夏ちゃんは、流石に父親もハルちゃんのことを好きだと告白された時はパニクっていたけれど、受け止めて受け入れていた。
「アタシたち3人、ハルちゃんにフラれた仲間じゃ〜ん」の明るさ。
(父親と春田が付き合い始めたと知ったらまた複雑な気持ちにはなるだろうけれど)

同性に告白された、同性を好きになってしまった、そういった苦悩を排し、周囲もそれを障害だとは受け止めない。
「緋夏ちゃんは女だからいいよな」もなければ「お父さんおかしいよ、ハルちゃんは男だよ?!」もない。
「俺、男ですけど…」もなければ「俺、男なのに…」もない。
人によってこれらはマイナスになるのかもしれないけれど、自分にはプラスだった。
好意的な目線で見ていたからこそ好意的に最終回を受け止められた。

自分は、好きです。


あとは吉田鋼太郎劇場な…。
面白かった…卓球とか相撲とか。
大河の撮影とも被っているからかいきなり時代劇口調になる吉田鋼太郎めっちゃ笑った…。
麒麟が来る』、観る予定です。
あ、そういえば千葉雄大目当てで観たのに千葉雄大に触れていない。
(目当てに触れないのは作品そのものを楽しめたってことですよ)