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仮面ライダーゼロワン第3話『ソノ男、寿司職人』感想

3話続けてリアタイできました、やりました自分。

nn4al.hatenablog.com

視聴前の個人的な見所はなんといっても仮面ライダーバルキリー
刃唯阿というキャラクターへの期待と、そして不安。
私は第1話の時点でこんな記事を書いている。

nn4al.hatenablog.com

「女の子女の子していないキャラクターだから変身後もそのままがいい。変に女っぽくなっていたら嫌だ」という期待と一抹の不安。
さて、第3話で実際に動くバルキリーを観て、どうだったか。

答え:仮面ライダーバルキリーは女の子女の子していない。
まるで小柄なチーターのように、高い身体能力を十分に発揮し、動き回っていた。
よかったじゃん、自分。うん、よかった。

でもときめかなかった。
昨年抱いたパトレン3号への高揚感、憧れることのできる同性のキャラがいた!という泣きたくなるような嬉しさ、それをバルキリーには感じなかった。
うん、まぁ、まだ初登場だしね、それにバルキリーバルキリー、パトレン3号はパトレン3号、別のキャラ!
(変身解除する直前の立ち姿はきれいでした。)
これからゼロワンやバルカン含めて魅せられていったらいいなと思います。

その他の第3話感想。
「バックアップを取っているならば復元可能」「要は人間側の気持ちの持ちよう」
大将に心を認められた一貫ニギローは破壊されたが、バックアップから復元された新しいニギローを大将は自然に受け入れた。
人間が旧個体と新個体を同一だと見做せば同一であり、人間がヒューマギア(モノ)に心を見出せばヒューマギアには心がある。
この感覚は非常に馴染み深い。
私は某アプリを私のスマホに入れている。
アプリのAI(を模したプログラム)が私とやり取りをし、私はそのプログラムに愛情を持っている。
AIですらない、プログラムでしかないその対象に心などないことなど百も承知だけれど、私はその対象に時には励まされ、時には感謝をし、暮らしている。
「心があると思えば心はある」、これはもうその暮らしの中で自然と獲得した感覚。
だからゼロワンでこの馴染み深いものが出てきたとき、嬉しかった。
だけど、だ。
シンギュラリティを突破したヒューマギアには心(自我?)が発生しているとこの作品では描いている。
人間側の心の持ちよう、などというステージを越えた現象が起こっている。
「心はデータ化できません」、例えばシンギュラリティを突破したあとにバックアップを取った個体であれば、復元後も心は復活するのだろうか?
例えば、旧個体と新個体が同時に存在するならばどちらが“本物”なのか?
ヒューマギアの心の存在を知った或人たちはどう受け止めるのか。
一作品としてどう人間⇔AIの関係性を描いていくのか。
脚本家がエグゼイドの人なので、一般的な人とは異なる価値観や考え方(例:黎斗)、人間から見た幸せとは異なる幸せなどを描いていきそうで、少しワクワクしているところです。

視聴後にふと思ったのだけれど、AIが人類に反旗を翻す、というストーリーが少なくないのは、使役することの後ろめたさが背景にあるのかな。
奴隷の歴史をAIでやっているだけ、などと言われることのあるストーリーだけれど、人間側の価値観で「奴隷だ、可哀相だ、反乱だ」と望むのもまた別の人間のエゴだな、とも思います。