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原作読みから見たルパン・エチュード

作者の想定よりも長く続いたシリーズには、設定の齟齬が必ずと言っていいほど存在する。
モーリス・ルブランの書き続けたアルセーヌ・ルパンシリーズもまた例外ではない、大きな疑問点から小さなツッコミどころまで揃っている。
しかしここで言う齟齬とは作品と作品の間にのみ生じる矛盾を指すために、ただ読んでいるだけではそれほど(あるいは全く)気にすることもない。
ただ読むだけならば。

問題になるのはモーリス・ルブランのオリジナルを「原作」とした場合である。
ルブランのミスをそのまま再現するか、それとも修正するか、はたまた消去するかの選択が迫られる。
ちなみに原作のミスを修正したものとしては、連続ドラマ『白痴』(2003露/原作ドストエフスキー)における“呼び鈴のくだりにワンシーン(行為ひとつ分)だけ追加した”、が個人的MVPである。スマートかつ自然、原作と付き合わせるまで気付かなかった。ドラマ白痴は「原作の文章をそのまま映像にしているだけですよ」という顔をして映像化のための修正省略再構築を随所で行なっている作品なのだが、前記のミスの修正もその1つだ。

読み手としてはその選択が新しい作品(以下、新版)にとってマイナスにならなければ再現でも修正でも消去でもどれが選ばれようが構わない。
もちろん修正や消去が選択された場合、原作至上主義者として「ここはそのままやって欲しかった」という感想を抱く可能性はあるが、それはそれとして新版という一個の作品の完成度を尊重する気持ちは持っている。
ミスではないが原作要素のピンポイント省略を行なった例としては、ミニドラマ「813」(1980仏)が挙げられる。原作とは異なる結末を迎えることで不要どころか邪魔になる要素、ジュヌヴィエーヴまわりを潔く削ぎ落としている。個人的にミニドラマ版は改変された結末も含めてそれほど好きではないのだが、製作陣の意図は読めるという点においては大好きである。

さて、ルパンシリーズにおける設定の齟齬といえばなんであろうと考えた時、もっともポピュラーなものは「で、結局アルセーヌ・ルパンの本名はラウール・ダンドレジーなの?アルセーヌ・ルパンなの?」ではないだろうか。
この矛盾はどう足掻いても解消されない、というわけではないのだが、解消させるためにはウルトラCを放つ必要がある。
「原作と矛盾しないからって流石に忠実の範囲は超えているだろ」と言われること必須の要素なのだが、つまり最初から「原作に忠実」を掲げなければいい話なのだ。掲げさえしなければウルトラCどころか着地の後にバク転したって問題ない。
そして見事にバク転を取り入れたのが「ルパン・エチュード」だ。
ラウール・ダンドレジー青年の肉体には2つの人格が存在し、そのサブ人格こそがアルセーヌ・ルパンである。
この設定全てがバク転だと思われるかもしれないが、矛盾した箇所同士を付き合わせていくと「2人いる」という結論(といって悪ければアイディア)には辿り着く。バク転は二重人格(2人いるが肉体はひとつ)の部分のみだ。
ルパン・エチュードは原作に添いながら、二重人格、エリク・ヴァトーという2つの新要素を核として物語を展開していく。
原作エピソードとして、第1巻では「アンベール夫人の金庫」、第2〜4巻では「カリオストロ伯爵夫人」を展開、さらにカリオストロのエピソードの最中に挿話として(原作どおりに)「王妃の首飾り」を紹介する。
三竦みの齟齬を来たしている原作の3つのエピソードについて、二重人格という新要素を以って名前に関する矛盾を解きほぐすと同時に、アルセーヌ・ルパンはサブ人格という設定も、キャラクターの新しい面を引き出し、原作ルパンとは異なる深みを引き出している。

さて、パズル的な読み方をするならば、新要素で原作の矛盾を解消したが、このまま何も考えずに進むならば新要素が加わったことで原作と同じストーリー(=アルセーヌ・ルパンの人生)を歩むのは無理である、ではどうやって原作と合流するのか、というところで第4巻は終わっている。
パズルならば「誘拐直後にラウールを殺す」が最適解であり、予想としてもラウールの消滅ないしラウールとアルセーヌの人格統合は上位に来ているのだが(ラウール/アルセーヌの消滅、統合、共存、統合ではなく第3の人格、の5パターンしかない)、作品として読むならば、どうするか、ではなく、どうなるか、が大事だ。読みたいのは過程と傍流である。

正直なところを言えば、カリオストロ伯爵夫人編はかなり駆け足で終わった、と感じざるを得ないのだが、これは事情が事情だけにしょうがないことだろう。
商業作品としてはここで終わる。
しかし続きは出るらしい。
完結であったならば、オリキャラと言ってもいいラウール・ダンドレジー(ヴァトーはヴィクトワールの位置にいるせいか、ヴァトーよりもラウールのほうがオリキャラ要素が強い。ヴィクトワールはおそらく登場しないだろう、それとも登場した上で彼を「ルパン」と呼ぶようになるのだろうか。ヴィクトワールが登場しなければ奇岩城や813が問題だ?いやヴァトーでもイケるだろ、「お前の代わりにあの娘が俺の心を占めてしまったんだ」)の描写の薄さにささやかな不満を表明していたところだが、続くならば上記の駆け足気味だったという感想の他は、特に不満を感じる箇所もない。
「アルセーヌ・ルパンの逮捕」に向け、新たに加えなければならないキャラクターとこなすべきエピソードの目算に頭を働かせつつ、アルセーヌ・ルパンとラウール・ダンドレジーの逮捕に至るまでの5年弱の平穏を祈っておこう。
「全員の末長く続く幸福」はモーリス・ルブランが叩き潰しているのが残念だ。

2022年7月15日追記。

アルセーヌ・ルパンシリーズの傑作「813」の連載バージョンの邦訳が刊行された。
ルパンファンなら読んで損なしの大長編となっている。
紙書籍・電子書籍ともにamazonで取り扱い中である。 
興味のある方は読んでみてほしい。

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