ナナシャルダンダン

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月9『シャーロック』第2話感想


【注意】この記事はBBCシャーロックを好きではない人間が書いています。

第2話からの視聴、第1話は普通に忘れていた。
自分はシャーロキアンではないけれど、ホームズ物だと知れば興味は湧く、程度の人間です。
コナン・ドイルの小説シリーズは全て読んだことがあるけれど何度も繰り返し読んでいるわけでもなく、ドラマであれば、グラナダソ連(旧露)、新露、BBCシャーロック、エレメンタリーあたりは観ている程度。そんなレベルの人間だから、アントールズストーリーと言われても、どの話なのかはさっぱりだ。
それでもtwitter上のシャーロキアンが細かい元ネタで盛り上がっているのを見ると、製作スタッフはかなり細かく原作小説を読み込んでいるのかな、という印象は受ける。
個人的に原作付きのドラマ(に限らず映画やコミカライズ、アニメ化等々)において最も大事なことは、原作への愛があるか(ファンであるか)どうかではなく、敬意があるかどうかだと思っている。ついでに彼ら自身が原作から創り出した新たな作品との適切な距離感を保てるかも重要。
これは完全に個人の意見だから反対意見もあるだろうが、BBCシャーロックは原作愛に溢れているが同時に距離感が近過ぎた。
二次創作物の作者たちが自らの二次創作をさらに二次創作していったような、悪い意味でどんどん同人作品のようになっていった、それがBBCシャーロック(他にミソジニーやらホモフォビアやらがかなりキツかったよBBC)。

さて月9シャーロック。
第2話だけを見ると、このドラマにシャーロックというタイトルを冠さなければならない理由が見えない。
もちろんモチーフは散りばめられているが、ホームズ/誉とワトソン/若宮の関係性は今まで見てきたホームズ物のどれよりもお互いへの関心が薄く、なんなら若宮くんじゃなくレストレード/江藤との掛け合いをもっと見たいと思ってしまう。(佐々木蔵之介の江藤めっちゃ好きです)
BBC共依存(どんどん二人の世界に閉じていく関係性)はかなり苦手で、好きなのは新露(親睦を深めつつそれぞれの世界は持っている)やエレメンタリー(男女かつ愛の告白をお互いに交わしながら決して恋愛関係にはならない至高のパートナー関係)。
特にエレメンタリーは、「男同士だからどれだけ恋愛感情に似ていても恋愛ではない/疑似恋愛関係を友情だと言ってお出しできる」という逃げ道を塞ぎ、異性愛者の男女同士の友情、そこからさらに深まる関係性を描き切っている。
まぁこれは好みの問題なので、共依存だからいいんじゃないか、という人もいるわけですよね、じゃなかったらあんなに人気出てないよなBBC
始まる前はBBCのパクリもとい真似っこだと糾弾されていた月9、今のところBBCぽさも共依存に陥ることもなさそうなので安心する反面、あまりのバディ感の薄さに物足りなさも感じてしまう。これからだろうか。製作スタッフのメインどころにバディ萌えしている人間がいなさそうな気配を感じるが。

事件そのものについて、これは非常に良かった。
兄の犯罪によって人生をめちゃくちゃにされた女が新しい戸籍を手に入れるが、今度はその戸籍の元の持ち主の過去によって婚約を破棄され…。
自殺だったのか他殺だったのか、はたまた事故死だったのかは作中で明らかにされず、青木先生の意味深な笑顔によって他殺なのでは、と思ってしまうが、あんなに人通りの多い場所で誰にも目撃されず、悲鳴もあげさせず突き落とすのは無理があるのではないか、と思うので自殺だったのではないかな。
気持ちが上向きになってもフッと死に惹き込まれてしまう瞬間があそこだったように思う。

過去の不倫を理由に婚約を破棄した男性が作中では酷い男のように描写されていたが、実際に不倫をしていた本物の方は和解が成立した後も懲りずに不倫を続けていたのだから、あの男性の言うことは間違っていなかった。ただその不倫をしていた女≠元婚約者の女だったというだけで。
というか普通に不倫していた人間と結婚するのは二の足を踏むよな、倫理観が合わないのは致命的だよ。
希望としては、青木先生と左和子さんの関係をもう少し詳しく見たかった。
差し出した救いの手が完璧ではなかったために再び「他人のせいで」人生を狂わされた女を見て、救い手である青木先生は何を思ったのか。とか。
そう言えば、青木藍子/アイリーン・アドラー、だろうか。
なんとなくモリアーティっぽさも感じてしまう、ほらアイリーン=モリアーティだった某作品もあるし。
コナン・ドイルの小説では短編1つにしか登場しないアイリーン・アドラーは、しかし派生作品になるとメインキャラクターへと昇格することが多い。このドラマはどちらだろうか、この話だけの登場なのか、これから再び絡んでくるのか。
個人的にはゲストキャラ扱いの方がいいかなぁ。