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月9『シャーロック』第5話感想 パワハラの矮小化と思慮の浅さ

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3回目だからホームズものとして観た時に、という視点での感想は書かないようにする。
観ている時ももうほとんどホームズものとしては観ていないことだし。

さて、第5話はパワハラによって自殺した青年の母親がその復讐のため…とざっくり書けばこういうお話でした。
パワハラ上司はお咎めなし、母親だけが罪に問われるという結末は後味の悪いものだったけれど、さらに後味を悪くさせているのは、「息子さんが自殺した原因はあなたにもあるんですよ」と言わんばかりの真相解明にあった。
誉とは別行動をした若宮がパワハラ上司・町田に「あなたが殺したんだ」とズバリと言い放ったシーンでバランスを取っているのかもしれないが、取れていない。
町田は罪の意識に囚われないであろう一方で、ああいった突きつけられ方をした母親は、これから一生自分を責め続けるだろう。
母親の愛し方に全く問題がなかった、とは思わないが、貴之が自殺した原因は100%パワハラにあるというのに。
誰がどう見ても文句の付け所のないほどに“健全”な家庭で育っていたところで、パワハラで精神を病み、段々と正常な思考が出来なくなり、ついには自殺に追い込まれる人はいるだろう。
「周囲に助けを求めればよかったのに」「仕事を辞めてしまえばよかったのに」と言うのは簡単だが、渦中にいる人間はそれが出来ないほどに視野狭窄に陥っている。
それを鑑みず、「周囲に助けを求められない環境なのだ」「1人でなんとか出来ないような育てられ方をしたのだ」などと変な理由づけをしてしまうのは危険だと思う。
そして作中でこういった理由づけをしてしまったのが父親だった。
「貴之、死んだんですか…」
「息子が生まれてから妻の愛情は息子に注がれ、私はネグレクトされました」
「1人でトラブルを解決できない子に育ててしまった私にも責任があります」
父親の問題発言はこの3つだろうか。
別居しているわけでもない、行方不明になる前日にも自宅で顔を合わせている息子が死んだと告げられても、「死んだんですか…」と答えるだけ、そもそも息子が行方不明だというのに一人暮らしになれる別宅に帰り続けているその様。
“ネグレクト”という、主に庇護が必要な者に十分な世話を与えないこと、の意味で使われる言葉を、“妻の愛情をもらえない夫”の文脈で自ら使う様。
そして、“1人でトラブルを解決できなかった”という認識。
貴之が自殺する前夜、妻から「相談に乗ってやって」と言われても、何も言わず別宅に逃げたこの夫の胸中に、「あの時自分が相談に乗ってやれば」という悔恨は起こらなかったのだろう。
なにせ、「1人でトラブルを解決できない子」という認識を、自殺後も改めることはないのだから。

江藤や若宮に視聴者の代弁をさせていると感じることがしばしばあるのだが、今回で言えば、「あんたが殺したんだ」を筆頭に、「あいつが犯人じゃないのかよ、つまんねぇ」などだろう。
製作陣もまさか、パワハラ上司よりも母親に原因があったなどと思っている人間はいないだろう。
しかし、あの作り方ではまるで、パワハラと毒母の合わせ技のような印象を、さらにいえば権力に守られ攻撃できない対象の身代わりとして「悪い人間」をお出しされたような厭な印象を受ける。
私は上で父親の態度について文句を書いたが、これだって、被害者遺族であるはずの父親を攻撃するという厭な構図になっている。
法的な罪を問えないまでも、町田に何がしかの罰が下るなら、もしくは罪に問えないことに憤るような描写をもっとしてくれれば、責められた弱い者(母親)から責められなかった弱い者(父親)へとターゲットを移すような、無意味で俗悪なことなどせずに済んだはずだ。
母親の接し方にも問題はあった、父親の接し方にも問題はあった、父親の態度には憤りを覚える。だけど、でも、この2人のどちらも、貴之の自殺の原因ではない。

誉は真相さえ究明できればそれでいい人間である、その究明のためには貴之の遺体の発見は必須だった。だから父親に会いに行き、メールの文面を引き出す。
それを母親に見せ、「あなたにも原因があったんじゃないですか」と突きつける。
しかし果たして、本当にそう思っていただろうか。
遺体を引き渡すための曲解をあえてしたのではないだろうか、と考えもする。
これが江藤や若宮の発した言葉であれば、そう思っていることに疑いの余地はないのだが、しかし彼ら2人がそう言うことはないだろう。若宮は別行動を取ってまで町田を糾弾したくらいなのだから。

私はこの演出と結末を以て、母親に全てを負わせている、と感じることはない。
それは私がスタッフの良心を信じたいからかもしれない。
加害者をぼかして弱い者の中から生贄を差し出すような真似、しないよね?という。
だから、バランスが悪い、という位置に落ち着きたい。
よくも悪くも両親の演技が良すぎたのだ、と。
誉と江藤の母親組と、若宮単独の町田組では、“深み”の分が悪かったのだ、と。
この後味の悪さは製作陣の意図した後味の悪さとはズレているのだろう、と。
起承転結の食い合わせが悪かった、と。
失敗作だ、と。
思いたい。 思いたいのだが、元となったフレーズ的に、“女の化粧”が出発点になっていることは推測できてしまう。
ということはやはり、パワハラは結末への繋ぎでしかなかったのだろう。
“繋ぎ”として扱っていいネタではなかったよ。

失敗作、というよりも、浅はかで愚かな作品、これが結論になってしまう。