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月9『シャーロック』第6話感想 視聴を続行するからこそミソジニーは不快だと表明する

はい、書きます。
第2話の感想で、”製作スタッフのメインどころにバディ萌えしている人間がいなさそうな気配を感じる”と書いたのだが、今回も引き続きそれを実感した。
前回までは若宮が変に誉を意識し、変に突っかかっていくことが多かったのだが、今回は若宮が自分自身として動いていた。
バディやコンビの信頼感、連帯感、親愛の情なんてものは折り返しに来てすら兆しも見えず、しかしそれぞれが独立し、いい意味で無関心の関係に落ち着いていた今回は、物足りなさもなければ、イライラもなかった。やはりこの作品の製作陣にバディ萌えしている人間はいなさそうだ。
観ている自分としても若宮にイラつくどころか安心感を覚えていた、収まるポジションにようやく落ち着いた安堵感と共に。

ストーリーの方は最後に守谷壬三=ジェームズ・モリアーティの名前が登場。
誉が面白がるでもなく真面目に敵意(?)を燃やしているのは、ホームズとモリアーティならそりゃね、と思う一方で、ホームズ物を透かして見なければ少々不自然かもしれないな。ん、まぁ、「お約束/省略」の範囲内かもしれんが。

今回の事件について、ミステリとして見れば単純に面白かった、とは思う。
この回だけを見たら不快な描写もなかった。
ただ、残念なことに前回がある。
前回は描写のバランスが悪かったのだ、とは思うのだが根底に女性軽視/母親嫌悪があることは否定しきれない。
前回登場した夫婦は、母親は息子への過干渉、父親は息子への非干渉という組み合わせ、糾弾されたのは母親だけ。
今回登場した夫婦は、どちらも娘に構ってやらない組み合わせではあったのだが、それでも母親は専門家のカウンセリングを受診させ、自らも娘に付き添っていた。(一方父親はカウンセリングすら無駄だと言っていた)
しかし娘が不満を口にするのは母親の方にだった、「自分が話を聞きたくないから専門家に押し付けたのだ」と。
思春期の女の子が父親よりも母親からの愛情を欲することは自然であり、母親への不満を多く口にすることも自然だとは思う。
しかし、母親が過去「ただ告白してきた同年代の少年を、気持ちが悪いというだけでストーカーとして告発した」という事実を追加してしまった意味ってなんなのだ。
本当にストーカー被害に遭っていた、では駄目だったのか? それでも話は成り立つはずだ、むしろそちらの方が成り立つはずだ。
なぜわざわざ、あの母親に性格の悪さをプラスしたんだ?
繰り返しになるが、前回を見ていなければ今回の歪みはスルーできた、たまたまだろう、と。
だけど前回を見てしまっている。
2話連続で見せられてしまうと、この作品、母親に負の側面を付与しがちでは?と思ってしまうのもしょうがない。
しかし、ホモソーシャルを描くためにミソジニーが使われている、とは思わないのが一種の救いだろうか。(何故ならばこの作品、ホモソーシャル/男同士の結び付きは大して描かれていないから)

自分にとってこの歪みはスルーできない程度には大きいのだが、作品全体の面白さ、これからの展開への期待を損ねるほど致命的でもない。
面白さよりも不快さが上回ったら離れるまでだが、今のところシャーロックは、視聴続行対象だ。
心外だが、ミソジニー描写には耐性がついてしまっているんだよな、あぁこんなもんだよね、と。
我慢せずに済む作品(『エレメンタリー』など)にも出会っているからこの呪いは昔よりは解けているはずなのだが、それでも他の要素よりは我慢できてしまう。
我慢できなければ私の世界から1つ面白い作品が失われることになる、それは娯楽を楽しむ自分にとって損失かもしれないが、それ以上に我慢することで自尊心が削られていくことを私は知っている。
だから、不快だと感じたことに蓋はしない。
視聴を続行するからこそ、不快は表明する。

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