月9『シャーロック』第11話感想 偽物でも本物でもあの守谷は好ましい
前回、江藤(佐々木蔵之介)が守谷の可能性を提示され大いに盛り上がったまま迎えた最終回。
結果的に守谷と名乗る人物/守谷とされる人物は全くの初登場だったのだが、それも含めて自分は概ね好意的に受け取れた最終回だった。
江藤が守谷の可能性が浮上しテンションが上がる、というよりも、佐々木蔵之介がモリアーティをやる可能性が浮上しテンションが上がってしまった。
えー、だって佐々木蔵之介のモリアーティだよ、観た〜い、めっちゃ観たい!
自分にとっては江藤が守谷であることよりも佐々木蔵之介の魅力が存分に発揮されることの方が大事だったらしい。
そして最終回の江藤(佐々木蔵之介)は魅力的だった、満足…ふぅ…
そりゃ、守谷かも?と穿った見方を最後の最後まで捨てられなかったことは事実。
1回目は「まだまだ江藤=守谷あるじゃん!」と思っていた。
でも、江藤は江藤だ、という目できちんと2回目を見たら、江藤は江藤だった。
もちろんこれからまた二転三転する可能性もありつつ、あの最終回だけを見たら、江藤のブレは“江藤という人物のブレ”の中にきちんと収まっていたものだった。
(続編や来週で、江藤は実は…!展開もそれはそれで美味しいので全然アリだけどね!)
twitterで感想を軽く巡ったら、守谷のポッと出感、演技力に対して残念だった、という声を少なくなく目にした。
まぁ確かになぁとは思う、守谷の役者さんを他の作品で知らないので本当にあれが演技力の最高値なのかあえての無機質棒演技なのかは判断がつかないものの、悪の魅力に溢れた人物ではなかった。
ただ、最後に守谷が偽物かもしれないと示唆したことも含めて自分はあの守谷はアリだと感じた。
アリというか、好ましかった、と言うべきか。
原作よりかは作品に占める守谷/モリアーティの比重は大きくなっていたとは思うんだが、探偵と悪の帝王の対立構造を殊更に際立たせなかったこと、守谷をポっと出にしたこと、守谷と対峙するまで守谷を追い求めていた獅子雄が、いざ対峙し会話をしたことで守谷と己の違いを感じ取ったことなどなど、言語化が上手くできないからまとめられないものの、自分はアリだった。
(特に女性の悪役に多く見られた安っぽくテンションの高い悪の演技を守谷はしなかったことも好評価の一因だろうか。)
この最終回だけを見たら好評価10割と言ってしまってもいいくらいの受け止め方を自分はしている。
ただ、散々このブログでも書いてきているように、不満点や批判点も少なくない。
(最終回以外の)獅子雄が若宮を尊重していなかったこと、雑に扱ってもいい存在だという態度を見せていたことは、この作品に対する1つの批判点ではある。支配者と被支配者を相棒としてお出しされるのは居心地が悪かった。最終回は良かったんだけどね。 #シャーロック
— 七瀬だん (@key4d) 2019年12月16日
獅子雄と若宮のバディドラマとして見たら、最終回(終着点)はよかったんだがそこに至る過程は好きになれないものだったし、江藤がいなかったら早々に挫折していたことは疑いの余地がない。
また、一部女性の描き方への不満も何度か言及したとおり。
ただそういったマイナス点もありつつ、2期があるならまた視聴したいと思うし、彼ら(獅子雄、若宮、江藤、小暮)のクインテットがもう見れなくなるのは寂しいと感じている。
振り返ると、序盤の「若宮いらない。獅子雄と江藤だけでいい」から「若宮ちゃん…獅子雄は若宮にもっと優しくしなさいよ…」への感想変遷は面白かった。
視聴期間の中で好感度が最も上がったのは間違いなく若宮潤一だったよ。
来週、総集編だったら感想は書かないつもりだけれどそうじゃなかったら多分なんか書きます。